2014年3月11日横浜みなとみらい_マリア・ジョアン・ビリス_ピアノ・リサイタル:20140311 [音楽]
2014年、いつになく、クラシックをライヴで聴くことができています。
それも・・・、学生の頃と同じように、背中で、 背骨の辺りでも 聴くことができています。
音楽って、耳だけではなくて、心で、体全体で聴くものですね。
コンサートホールのじぶんの席で聴いているだけなのに、
気が付けば汗をかいて、鼓動が早くなっていて、背骨の辺りが、ぞくぞくして、こころがふるえて、
本当に、至福の一時。
お酒を頂いている時も、とても素敵な一時ですが、それにも増して、 いえ、同じくらいかな? 笑
じぶんの時間の中で大切な一時。
今年はたくさん味わえている・・・。 うん、とっても良い年なのです。 ^^
そして、
11日の晩は、じぶんの人生の中でも、特別、とっても、極めつけ、マックスに記憶の引き出しの一番上に、最上のかけがえのない時間になってしまったのでした。
「ごめん、先に帰る」
定時のチャイムが鳴ると共に会社を飛び出しました。 開場の18時30分にはコンサートホールに着きたい。
ゆっくりと食事をする時間はないので、この日も立ち食い蕎麦です。
桜木町の老舗の立ち食い蕎麦屋さん、創業明治33年の「川村屋」さんで、得意の 天玉蕎麦を頂いて、
エネルギー充電 OK !!
準備完了 !!
2014年3月11日(火) 午後7時 横浜みなとみらいホール
シューベルト 4つの即興曲D.899 Op.90
ドビュッシー ピアノのために
シューベルト ピアノソナタ第21番変ロ長調D.960
マリア・ジョアン・ビリス 1944年ポルトガル生れのぼくが今一番好きなピアニストです。
小さい頃から神童と呼ばれるほど才能を開花させ、色んな賞を受賞していたけれど、手首を故障して1980年代に復活を果たしています。
ぼくは、その後の、特に最近のビリスの演奏が大好きです。
絵画には「内面的必然性」っていうのがあると思うのですが、ビリスの演奏もまさに内面的必然性だと思います。
作曲家が書いた曲と真摯に向き合い、そこに解釈をするのではなくて、楽譜と真摯に向かった結果、必然的に紡がれていく究極の音色たち・・・。
ピアノが弦をたたいて音を奏でる楽器だとは思えないほど、一音一音大切に紡ぎだされるビリスの音色。
どうやればそんな音が出るんだろう。
レースを揺らすそよ風が、部屋の中に一瞬春の香りを運んできて、かすかにかすかに・・・きえいっていくかのような弱音は何物にも替えがたい・・・。
最後の最後まで余韻を逃さないように聴き入ってしまいます。こんなピアニスト他にはいません。
この日も、シューベルトの「4つの即興曲」のNo.1アレグロ・モルト・モデラートの最初の一音を聴いたときから、ビリスの世界に引き込まれてしまいました。
大ホールには2,000人近くの観客の方達がいらっしゃったのだと思いますが、誰もがビリスの音を愛している、一音一音を大切にしている・・・、快い緊張感、ホール全体がそんな感じに包まれていました。
ドビュッシーの「ピアノのために」も素敵な曲、ビリスのドビッシーは聴いたことがありませんでしたが、ジャズのようなこの曲、
とても好きになってしまいました。
そして、ソナタ21番、シューベルトの最後のピアノソナタ。
広大な第一楽章が静かな深遠な主題で始まります。
最後のピアノソナタと思うせいでしょうか・・・シューベルトの歌うようなきれいな旋律の中にも、ふと悲しさを感じてしまう。
ビリスは小さい体で、全身全霊でピアノに向かい、時折体を深く折ってミューズの神様に祈りをささげているかのよう・・・。
華奢な体のどこにそんなパワーがあるのでしょう?
劇的な中に光が影が交錯し、激しさの中に悲しみがにじんでいる。静寂さの中に静かな喜びが光っている・・・。
ビリスのシューベルトは格別です。
鳴り止まない拍手、アンコールは、シューマン「森の情景」作品82から、第7曲「予言の鳥」でした。
ランドマークを抜けて、日本丸から運河の方を眺めながら、ビリスのピアノの音たちの余韻を楽しみました。
コンサート良かった。
ビリスの音たちを実際のライヴで聴くことができてよかったです。 2014年3月11日 午後7時から9時、じぶんの大切な大切な宝物になりました。
年は取ったけれど、素敵な可愛いビリス。
オードリー・ヘップバーンも好きですが、今一番好きな女性かもしれないです。もっともっと、ビリスを聴いてみたい。
今日はこれから映画を見に行ってきます。
アニメを見て好きになって、文庫本も読みました。鋼の錬金術師を書いた荒川弘さんの「銀の匙」。とても良い話。
花粉がすごいので、完全防備で出かけてきます。
" 2014/03/11 Maria Joao Pires Piano Recital in YokoHama Minatomirai "ٓ
それも・・・、学生の頃と同じように、背中で、 背骨の辺りでも 聴くことができています。
音楽って、耳だけではなくて、心で、体全体で聴くものですね。
コンサートホールのじぶんの席で聴いているだけなのに、
気が付けば汗をかいて、鼓動が早くなっていて、背骨の辺りが、ぞくぞくして、こころがふるえて、
本当に、至福の一時。
お酒を頂いている時も、とても素敵な一時ですが、それにも増して、 いえ、同じくらいかな? 笑
じぶんの時間の中で大切な一時。
今年はたくさん味わえている・・・。 うん、とっても良い年なのです。 ^^
そして、
11日の晩は、じぶんの人生の中でも、特別、とっても、極めつけ、マックスに記憶の引き出しの一番上に、最上のかけがえのない時間になってしまったのでした。
「ごめん、先に帰る」
定時のチャイムが鳴ると共に会社を飛び出しました。 開場の18時30分にはコンサートホールに着きたい。
ゆっくりと食事をする時間はないので、この日も立ち食い蕎麦です。
桜木町の老舗の立ち食い蕎麦屋さん、創業明治33年の「川村屋」さんで、得意の 天玉蕎麦を頂いて、
エネルギー充電 OK !!
準備完了 !!
2014年3月11日(火) 午後7時 横浜みなとみらいホール
シューベルト 4つの即興曲D.899 Op.90
ドビュッシー ピアノのために
シューベルト ピアノソナタ第21番変ロ長調D.960
マリア・ジョアン・ビリス 1944年ポルトガル生れのぼくが今一番好きなピアニストです。
小さい頃から神童と呼ばれるほど才能を開花させ、色んな賞を受賞していたけれど、手首を故障して1980年代に復活を果たしています。
ぼくは、その後の、特に最近のビリスの演奏が大好きです。
絵画には「内面的必然性」っていうのがあると思うのですが、ビリスの演奏もまさに内面的必然性だと思います。
作曲家が書いた曲と真摯に向き合い、そこに解釈をするのではなくて、楽譜と真摯に向かった結果、必然的に紡がれていく究極の音色たち・・・。
ピアノが弦をたたいて音を奏でる楽器だとは思えないほど、一音一音大切に紡ぎだされるビリスの音色。
どうやればそんな音が出るんだろう。
レースを揺らすそよ風が、部屋の中に一瞬春の香りを運んできて、かすかにかすかに・・・きえいっていくかのような弱音は何物にも替えがたい・・・。
最後の最後まで余韻を逃さないように聴き入ってしまいます。こんなピアニスト他にはいません。
この日も、シューベルトの「4つの即興曲」のNo.1アレグロ・モルト・モデラートの最初の一音を聴いたときから、ビリスの世界に引き込まれてしまいました。
大ホールには2,000人近くの観客の方達がいらっしゃったのだと思いますが、誰もがビリスの音を愛している、一音一音を大切にしている・・・、快い緊張感、ホール全体がそんな感じに包まれていました。
ドビュッシーの「ピアノのために」も素敵な曲、ビリスのドビッシーは聴いたことがありませんでしたが、ジャズのようなこの曲、
とても好きになってしまいました。
そして、ソナタ21番、シューベルトの最後のピアノソナタ。
広大な第一楽章が静かな深遠な主題で始まります。
最後のピアノソナタと思うせいでしょうか・・・シューベルトの歌うようなきれいな旋律の中にも、ふと悲しさを感じてしまう。
ビリスは小さい体で、全身全霊でピアノに向かい、時折体を深く折ってミューズの神様に祈りをささげているかのよう・・・。
華奢な体のどこにそんなパワーがあるのでしょう?
劇的な中に光が影が交錯し、激しさの中に悲しみがにじんでいる。静寂さの中に静かな喜びが光っている・・・。
ビリスのシューベルトは格別です。
鳴り止まない拍手、アンコールは、シューマン「森の情景」作品82から、第7曲「予言の鳥」でした。
ランドマークを抜けて、日本丸から運河の方を眺めながら、ビリスのピアノの音たちの余韻を楽しみました。
コンサート良かった。
ビリスの音たちを実際のライヴで聴くことができてよかったです。 2014年3月11日 午後7時から9時、じぶんの大切な大切な宝物になりました。
年は取ったけれど、素敵な可愛いビリス。
オードリー・ヘップバーンも好きですが、今一番好きな女性かもしれないです。もっともっと、ビリスを聴いてみたい。
今日はこれから映画を見に行ってきます。
アニメを見て好きになって、文庫本も読みました。鋼の錬金術師を書いた荒川弘さんの「銀の匙」。とても良い話。
花粉がすごいので、完全防備で出かけてきます。
" 2014/03/11 Maria Joao Pires Piano Recital in YokoHama Minatomirai "ٓ