鎌倉八幡宮の蓮と妙法寺のノウゼンカズラ:20130721 [鎌倉]
狭い部屋に積み上げていた、在庫の文庫本がなくなりました。
土曜日の仕事の帰りに有隣堂さんで2冊。
「終わらざる夏」浅田次郎、「命もいらず名もいらず」山本兼一の2冊を買ってきました。
どちらも面白そう、読むのが楽しみ。
でも、その前に読み返えしている本があります。今、下巻の第43章。
多崎作君の本を読んで、読み返してみたくなった本、春樹さんの「海辺のカフカ」です。
村上春樹さんには、多くの本に出てくるモチーフのようなもの、そして独特な観念みたいなものがあると思います。
深い穴や井戸、草原、パラレルワールド、隔離された町、夢の中etc etc ・・・、メタファーたち。
ある種、宗教的ともいえるもの達が、夢と現実との境目がないパースペクティヴの中で物語られていく。ぼくはドストエフスキーも好きですが、春樹さんの作品と似ていると思います。
春樹さんの春樹さんらしいモチーフ、観念たちが活き活きと描かれているのは、この頃の作品のような気がし、もちろん新しい作品も好きなのですが、カフカ、もう一度読み返したくなりました。
また、シューベルトのピアノソナタ。
「海辺のカフカ」に出てくるのは17番ですが、シューベルトつながりで? とても素敵な演奏に出会ったこともあります。
ジョアン・ピリスのシューベルトピアノソナタ第21番「遺作」。
ピリス、良いです。
通勤の電車で、カフカ君とシューベルトの7月下旬になっています。
この週は一日しか休めなくて、色々とやりたいことがあったのですが、気にかかる鎌倉八幡宮の蓮を見に、やはりカフカとシューベルトを連れて出かけました。
蓮を見るのだからと、いつもより30分くらい前に家を出ると、小町通はまどろみの中。
縞模様の 車の跡? 。道路標識のレンガ色、水をまいて黒く光る小路。
日曜日の朝、小町通の道路は色々な表情。
八幡宮も人が少なく、鳥居から、舞殿、本宮と奥の方まで見渡せました。
歩きながら、八幡宮の参道ってこんなに広かったのだと改めて実感、そして、写真を撮りながらのんびりとそぞろ歩き。
子どもを連れて散歩の方、ぼくのようにカメラをぶら下げた方達。
夫々の日曜の早朝。
まだまだ自由な時間がたっぷりとある感じが素敵な、日曜日の朝。
池を眺めるハトたちの目も、少し遠くの方を見ています。
今年の源平池、
入って左側の池は工事中で近くに行く事ができません。いつもなら、この池の蓮は、触れられるくらい近くから見もことができるのですが、工事はいつ終わるのでしょう?
右側の大きな池の方も、いつもより葉っぱが少ない。
毎年、池全体を覆いつくすように、大きな葉っぱでたくさんになるのですが、
どうしたのかな?
気候に関係があるのでしょうか?
蓮だけでなく、極端な温度の差で、今年の花達は皆びっくりしているのかもしれません。
蓮はまだ咲き始め。
それでも何輪かの蓮の花が、曇りですが、時折差し込む夏の朝の光にピカピカと輝いていました。
蓮の白さは特別です。あのピュアな花弁、一枚連れて帰りたい。
鎌倉八幡宮の蓮は、まだこれからのお楽しみ。
レンズの望遠が届くところにある、幾つかの白い花をファインダーでしばらく覗いていました。
白い花、大きな緑の蓮の葉の間から覗いていてとても可愛いかった。
もう一度来たいな、と思いながら妙本寺に向かいました。
人力車も出勤の準備中。こんなところに基地があるんですね。
ノウゼンカズラにもう一度会いたくて、妙本寺です。
八幡宮から少し歩いたので、汗をかきました。
でも、妙本寺さんの森に入ると、急に涼しさを感じます。すっと汗が引いていくのが分ります。
木々たちの天然のクーラー。
森ってこんなに涼しいんだ。
このCD 少し前に届いていて、一度は聴いたものの、
じっくりとは聴いていませんでした。
でも、「海辺のカフカ」を読み返して、シューベルトのピアノソナタをまた聴きたくなり、16番、17番、そして好きな13番と一緒に、ピリスの21番ももう一度聴きました。
派手さはないけれど、シューベルトのピアノソナタはいいな。
絵画や文学はこちらから見る、読むという動作を起こさないと、芸術家達の心に触れることはできません。
これに対して、音楽は流すことができる。
動作を起こさなくても音楽を感じることはできます。
でも、聴く耳を持っていないと心には触れることはできないのですね。音楽も、絵画や文学と同じで、自ら働きかけないと、偉大な芸術家の心には触れることはできないのだと、改めて実感です。
幾分落ち着いたこと、海辺のカフカを読んでいること。
妙本寺の森の、朝のピュアな風と涼しさに触れたこと。
こころが2か月分くらい軽くなったように思えました。
質量を持たない生まれたての風のような、ピリスの第1楽章の弱音
彼女にしか出せない音
ようやく少し聴けるようになった感じがします。
妙本寺のノウゼンカズラ、山門に向かって左側は散りはじめのものもありましたか、まだまだ元気に咲いています。
今年は2回、ここのお寺で静かでゆっくりとした時間を過ごすことができました。
帰ろうとしたら、大きな黒い蝶がぼくの周りにひらひら。 夏の朝の素敵な時間。
暑くならないうちにと、10時半ごろ散歩は切り上げました。
麩まんじゅうを買いたかったのですが、和菓子屋さんがまだ開いていませんでしたので、替わりに鎌倉駅で「鯵の押寿し」を久しぶりに買ってみました。
帰って、冷たいのと一緒に頂きましたが、美味しかった。
本を読み返すのも面白いです。
前に読んだ本だと、忘れているところもかなりあります。「海辺のカフカ」も2度目なのに新鮮さを感じました。
それに記憶力が落ちているじぶん、2度目でようやく頭の中におさまった気もします(笑)。
この夏は、「海辺のカフカ」だけでなく、他の本も読み返してみようかと。
" 2013/07/21 Kamakura Hachimanguu & Myohonji "
土曜日の仕事の帰りに有隣堂さんで2冊。
「終わらざる夏」浅田次郎、「命もいらず名もいらず」山本兼一の2冊を買ってきました。
どちらも面白そう、読むのが楽しみ。
でも、その前に読み返えしている本があります。今、下巻の第43章。
多崎作君の本を読んで、読み返してみたくなった本、春樹さんの「海辺のカフカ」です。
村上春樹さんには、多くの本に出てくるモチーフのようなもの、そして独特な観念みたいなものがあると思います。
深い穴や井戸、草原、パラレルワールド、隔離された町、夢の中etc etc ・・・、メタファーたち。
ある種、宗教的ともいえるもの達が、夢と現実との境目がないパースペクティヴの中で物語られていく。ぼくはドストエフスキーも好きですが、春樹さんの作品と似ていると思います。
春樹さんの春樹さんらしいモチーフ、観念たちが活き活きと描かれているのは、この頃の作品のような気がし、もちろん新しい作品も好きなのですが、カフカ、もう一度読み返したくなりました。
また、シューベルトのピアノソナタ。
「海辺のカフカ」に出てくるのは17番ですが、シューベルトつながりで? とても素敵な演奏に出会ったこともあります。
ジョアン・ピリスのシューベルトピアノソナタ第21番「遺作」。
ピリス、良いです。
通勤の電車で、カフカ君とシューベルトの7月下旬になっています。
この週は一日しか休めなくて、色々とやりたいことがあったのですが、気にかかる鎌倉八幡宮の蓮を見に、やはりカフカとシューベルトを連れて出かけました。
蓮を見るのだからと、いつもより30分くらい前に家を出ると、小町通はまどろみの中。
縞模様の 車の跡? 。道路標識のレンガ色、水をまいて黒く光る小路。
日曜日の朝、小町通の道路は色々な表情。
八幡宮も人が少なく、鳥居から、舞殿、本宮と奥の方まで見渡せました。
歩きながら、八幡宮の参道ってこんなに広かったのだと改めて実感、そして、写真を撮りながらのんびりとそぞろ歩き。
子どもを連れて散歩の方、ぼくのようにカメラをぶら下げた方達。
夫々の日曜の早朝。
まだまだ自由な時間がたっぷりとある感じが素敵な、日曜日の朝。
池を眺めるハトたちの目も、少し遠くの方を見ています。
今年の源平池、
入って左側の池は工事中で近くに行く事ができません。いつもなら、この池の蓮は、触れられるくらい近くから見もことができるのですが、工事はいつ終わるのでしょう?
右側の大きな池の方も、いつもより葉っぱが少ない。
毎年、池全体を覆いつくすように、大きな葉っぱでたくさんになるのですが、
どうしたのかな?
気候に関係があるのでしょうか?
蓮だけでなく、極端な温度の差で、今年の花達は皆びっくりしているのかもしれません。
蓮はまだ咲き始め。
それでも何輪かの蓮の花が、曇りですが、時折差し込む夏の朝の光にピカピカと輝いていました。
蓮の白さは特別です。あのピュアな花弁、一枚連れて帰りたい。
鎌倉八幡宮の蓮は、まだこれからのお楽しみ。
レンズの望遠が届くところにある、幾つかの白い花をファインダーでしばらく覗いていました。
白い花、大きな緑の蓮の葉の間から覗いていてとても可愛いかった。
もう一度来たいな、と思いながら妙本寺に向かいました。
人力車も出勤の準備中。こんなところに基地があるんですね。
ノウゼンカズラにもう一度会いたくて、妙本寺です。
八幡宮から少し歩いたので、汗をかきました。
でも、妙本寺さんの森に入ると、急に涼しさを感じます。すっと汗が引いていくのが分ります。
木々たちの天然のクーラー。
森ってこんなに涼しいんだ。
このCD 少し前に届いていて、一度は聴いたものの、
じっくりとは聴いていませんでした。
でも、「海辺のカフカ」を読み返して、シューベルトのピアノソナタをまた聴きたくなり、16番、17番、そして好きな13番と一緒に、ピリスの21番ももう一度聴きました。
派手さはないけれど、シューベルトのピアノソナタはいいな。
絵画や文学はこちらから見る、読むという動作を起こさないと、芸術家達の心に触れることはできません。
これに対して、音楽は流すことができる。
動作を起こさなくても音楽を感じることはできます。
でも、聴く耳を持っていないと心には触れることはできないのですね。音楽も、絵画や文学と同じで、自ら働きかけないと、偉大な芸術家の心には触れることはできないのだと、改めて実感です。
幾分落ち着いたこと、海辺のカフカを読んでいること。
妙本寺の森の、朝のピュアな風と涼しさに触れたこと。
こころが2か月分くらい軽くなったように思えました。
質量を持たない生まれたての風のような、ピリスの第1楽章の弱音
彼女にしか出せない音
ようやく少し聴けるようになった感じがします。
妙本寺のノウゼンカズラ、山門に向かって左側は散りはじめのものもありましたか、まだまだ元気に咲いています。
今年は2回、ここのお寺で静かでゆっくりとした時間を過ごすことができました。
帰ろうとしたら、大きな黒い蝶がぼくの周りにひらひら。 夏の朝の素敵な時間。
暑くならないうちにと、10時半ごろ散歩は切り上げました。
麩まんじゅうを買いたかったのですが、和菓子屋さんがまだ開いていませんでしたので、替わりに鎌倉駅で「鯵の押寿し」を久しぶりに買ってみました。
帰って、冷たいのと一緒に頂きましたが、美味しかった。
本を読み返すのも面白いです。
前に読んだ本だと、忘れているところもかなりあります。「海辺のカフカ」も2度目なのに新鮮さを感じました。
それに記憶力が落ちているじぶん、2度目でようやく頭の中におさまった気もします(笑)。
この夏は、「海辺のカフカ」だけでなく、他の本も読み返してみようかと。
" 2013/07/21 Kamakura Hachimanguu & Myohonji "